けど一つずつ書いていくことにしよう。

今回はDiaryNoteをふらふらとさ迷っているときに見かけた記事とそこで起きた出来事から感じたこと。
(今まではあまり福岡以外のDNを見に行ってなかったが、面識のない方からもリンクしていただいたので最近色々見に行くようになった)

ご存知の方もそうでない方もいるかもしれませんが、アヴァシンの巡礼者と至高の評決は共存できるかどうかと言う話題と、それに伴って発生した議論についてのことです。

一から説明すると元記事を全部参照せねばならず、またすでに当人のほうで決着していることですので、ここでは蒸し返すような感じではなくそのやり取りから第三者として見て感じたことを書きたいと思います。

まず巡礼者と評決は共存できないと言う立場で相手にそのデッキの不備を説得したいと言う感じで、自分の意見に疑いを持っていないまま相手への説得について話を向けたことが問題視されたのですが、こう言うやりとりはMTGにも限らずほかにもあるだろうな、と思いました。

何にしても決めつけて一方的に考えずに謙虚な気持ちと物言いで接したほうが良いですよね。
自分の意見を主張するときに確固たる信念を持ち理論武装をすることは大事ですが、議論となると相手の考えや意図をある程度は理解しないと(理解する努力をしないと)一方通行なやり取りになってしまい議論の意味が無くなってしまいますから。相手も同じ思考力を持つ人間ですし、理解を示さないと受け手側も良く思わないでしょう。

相手の意図を理解することによって、自分では思いつかなかったアプローチを知ることができたり、時には今までの自分の考えの間違いに気付くことや、逆により強く自分の理論を補強もできるかもしれません。

今回の件で言えば巡礼者と評決は共存できると言う(その人にとって新しい)考えに触れたこと、またはデッキに評決が入るようになった経緯を知ることが新しいアプローチとして自分の構築のプラスになると考えつつ、自分がディスシナジーと感じる旨を説明した上でそれに対しての相手の意見を聞くことができれば良い議論の場となったんじゃないでしょうか。

頭から否定で入ってしまっては発展性は望めませんしね。

議論に関してはそんな感じです。
自分も昔カードの優劣で言い合いになりかけたことがありましたが、結局2枚のカードの長所と短所を確認し合って、お互いがどちらがより好みであるかと言う形で決着しました。まあ若い時の話です。
今は歳食ってるし、出戻りのペーペーなものでそんなガンガン主張するようなことは無いでしょうね。MTG脳が化石化してますから。今の環境やデッキへのアプローチにはただただ感心するばかりです。

ちなみに議論の元である巡礼者と評決の共存についてですが、自分は共存は出来ると考えるほうです。
元々神の怒りを4積みしたクリーチャーデッキなどを使ったりしていたので(一応結果出してたりしてる)運用方法などには理解が明るいほうだと思います。
共存可能に関しての理論的なお話は当の記事のほうで沢山の方がコメントされているのでここではあえて書きません。さらに長くなっちゃいますし。

古のアーニーゲドンとかでもラスを採用して(メインとかサイドとか)、撃つことを想定していたりしますしね。

まあ、堅苦しい話でしたが、MTGに限らずお互いを尊重し合い高めあっていきたいですね。
また偉そうに書いたことがブーメランで自分に突き刺さらないように襟元を正してやっていこうと思います。

前提の説明やらちょい不足気味ですが、何かおかしなことを書いてましたら突っ込んでいただければと思います。
間違ったときには素直に認めることも大事ですからね。

コメント

みやぴぃ
2013年5月12日23:15

デッキ全体が重要だからねぇ(^^)
「その部分」だけ見るから論争になるんだろう(^^)
入れてる人には入れてる理由があるんだからそこを否定されるのは心外だろうね

Ogt
2013年5月13日22:24

そうですね、俯瞰的な視点とでも言いますか、全体を見て判ったり納得できることも多いと思います。
自分なんかはデッキリストを見て、「なんで?」と不思議に思ってから、なぜそのカードがその枚数入ることになったのかを考えてみて、そのプロセスが(たとえ自分の仮定であったとしても)判った時は、すごく面白く感じます。同系を実際に使ってみてなるほどなーと判る時もあったり。
教えを請う場合などは別でしょうが、議論となれば、お互いに同じ立ち位置で尊重し合って話を進めて行きたいものですね。
Ogt

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